ヨルダン報告(その3: ご覧あれが・・・・)

♪ご覧あれが竜飛岬 北のはずれと・・見知らーぬ人が指をさす


いやいや歌詞を間違えてしまいました。
♪ご覧あれがゴラン高原 北の境よ・・・・・
・・・・と見知らぬ人じゃなくて現地ガイドが指をさします。

ここは、ウンムカイスという町で、ローマ帝国時代の遺跡がありますが、オイラはゴラン高原が見えるというのでそちらを楽しみにきたのでごぜえます。

ま、ローマ帝国というのは、ロムルスとレムスというオオカミに育てられたならず者の羊飼いが3000人くらいを率いて作った小さな都市国家ですからね。文化・芸術はほとんどギリシアのものまね、土木技術はほとんどエトルリアのパクリなんだけど、戦いに強かったからね。エジプトのクレオのパトちゃんとアントニウスまで打ち破ったくらいだから、この辺は通ったんだろうね。
とにかくローマ人というのは、どこに行っても劇場を作りたがるし、神殿とか、カレドといわれる大通りを作って、意味のない柱を立てたがるのよね。
普通は、柱というのは屋根などを乗せて建物を作るのに建てるのだけどね。彼らは柱を立てるだけ・・・・

ま、ともかくウンムカイスの町。
あちらに見えるはげ山がゴラン高原なんです。その左向こうに見えるのがガリラヤ湖。その向こう岸がイスラエルですね。
このゴラン高原あたりで、シリア、イスラエル、レバノン、ヨルダンが国境を接しており、高原は以前はシリア領土だったのですが、中東戦争でイスラエルが実行支配しているようです。国連は「無効だ」といっているのですがね。なにしろユダヤ人というのはてめえ達の神の言うことしか聞きませんから・・・・

有名な戦場でしたが、こうやって見るとなんの変哲もないはげ山です。
もっともこのゴラン高原の手前下の緑のところががヨルダンの町ですから、ヨルダンによっては大事な高原なんでしょうね。
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ま、こういう柱は神殿の屋根を乗せるための意味のある柱だったのでしょうけどね。
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この柱の上の装飾が、ギリシャ時代からドーリア式、イオニア式、コリント式の3形式が主体になっております。
ローマはそれを恥も外聞もなく、そっくり真似をしております。ま、そのへんがローマの強みですけどね。全然細かいところに気を遣わない。
ギリシアのパルテノン神殿などはシンプルなドーリア式の典型ですが、ここは装飾過剰なコリント式。

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ローマ人は劇場がお好き。
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ギリシアの劇場とローマの劇場の違いは、音響をよくするために、ローマ人は席の下をえぐったり、壁にへこみをつけたりしています。
劇場の外にはショッピングセンターが・・・・・今はシャッター通りとなっております。
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ウンムカイスを見終わったところで、ちょうどランチタイム
お次のジェラシュという町に行って、「アルテミス」というレストランで昼食。アルテミスというのは、この町の守護神です。
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玄関の前でおじさんがホブスを焼いてます。欲しそうな顔でみていたら、1枚くれました。レストランのパン焼き場で、ボーイさんも外に取りにきています。
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テーブルに着くと、前にはお決まりのホブスとひよこ豆のペースト「ホンムス」。
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別途、大鍋がでてきて・・・・・
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ドサッとひっくり返します。
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中には、米、羊肉、ナスなどがはいっています。
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その名もマグルーバ(ひっくり返す)という料理。各自の皿にとりわけてもらい、「いただきまーす」
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一部の香辛料は厳しいものがありますが、ベースは味もそれほど濃くなく、ま、うまい。羊の苦手なひとはちょっとつらいかも。

さて、食後はジェラシュの遺跡見学。やたらとデカイ遺跡で見るのに3時間ほどかかりました。
まーこの辺は、アラビア半島が、ユーラシア大陸にドドーンとぶつかり、ぶつかり方が中途半端だったので、ペルシャ湾のような隙間が残り、そのあとアフリカ大陸もドドーンとぶつかり、これも紅海のような隙間が残っています。どうせなら、インド亜大陸のように、きっぱりと隙間なくぶつかって欲しいね。その結果、エジプトからトルコの方に行く通路が狭くなっており、昔から交通の要所となっております。
基本はセム語族、ハム語族を中心としたアラブ系なんでありますけどね。アレキサンダーはくるわ、ローマ人はくるはエジプト人はくるわ、遊牧民のベドウィンはうろうろするわでいろんな文化が混在しております。

紀元前1世紀ころにローマがここを支配して、デカポリスというものをアラブに作ります。別に体格の立派な警官というのではなくデカすなわち10ですね。ダマスカス、さきほどのウンムカイスなど10個の都市を定めたうちのひとつなんですね。ローマ時代のアラブ10大都市というわけです。2000年前に作られたまま発掘されました。
まずは町の外にあるハドリアヌス帝の凱旋門。
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凱旋門を入ったところに戦車闘技場があります。映画「ベンハー」でも出てきた2輪のタイプですね。もっともあの時は車軸に刃物が取り付けてあって、相手の車輪をガリガリと壊してましたが・・・
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お金を払えば、乗せてくれます。

しばらく歩くとようやく町の入り口の門。
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町並みです
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当時、オリーブを絞った搾油装置がそのまま残っています。
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みなさま左手をご覧くださいませ。あちらに見えるのはゼウスの神殿でございます。「しんでんの?」「いえ、神様ですから死んではいないと思いますけど・・・」
とにかくローマ帝国もあとでキリシタンになりますが、この頃はギリシャ神話・ローマ神話が入り乱れて、ゼウスはギリシア名、ローマ神話になるとユピテル、英語でジュピターとなります。
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例によって広場は列柱だらけ。
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珍しく、イオニア式の柱です。
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またまた劇場が・・・・・ほんとうに好きだね。
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ほれほれここにも、ローマ人の好きな大通りと列柱。
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これはこの町の守護女神アルテミスの神殿。ローマ神話ではディアナとなって、英語ではダイアナとなりますね。
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このガイドのおっさんは何をしているかというと・・・・石柱を押しているのであります。
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礎石の上に柱が載っているだけだから、押すとわずかに揺れるのですね。隙間にスプーンを突っ込んで小石の支点を置くと動いているのがよくわかる。
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こんなことをしなくても、指を突っ込むとわずかに締め付けられるのでわかりますけどね。


微妙なバランス。「あーダルマ落としやりたーい」
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広すぎて疲れるけど、廃墟感たっぷりのいい廃墟でした。
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この記事へのコメント

浜えくせる
2018年11月25日 14:16
結構古い遺跡が現存しているのですね。
地震とか、風水害にあまりやられなかったのでしょうか。
高校時代に世界史を習ったのですが、大学受験後、ほとんど忘れてしまって・・・。
2018年11月25日 19:13
私も受験は世界史で取ったのですが、この辺りはまったく守備範囲外でした。幸い目指した大学が東西交流に力をいれた傾向のところでしたので、張騫とか匈奴とか、色目人とか憶えておけばよかったので(笑)。考えてみれば、メソポタミアとエジプトで大文明が発達し、中間のこの地域が発達しないわけがないですものね。しかも頭と胸をつなぐ喉のような狭い地政ですから。50万年前の石器時代から遊牧していた民族がいたらしいです。
あるいは、このへんまでを含めてメソポタミアと言っていたのかもしれませんね。このへんは砂漠気候ではなくて、ギリシアなどと同じく地中海気候帯に含まれるそうです。我々の滞在している間もちょっとした雨が降ったり霧がでたりしていました。私は11日に出発したのですが、9日にこの一帯で大雨が降り、ペトラ遺跡は土石流に見舞われていました。10月には死海の辺りで死者も出るような大雨が降ったとか・・・・