断腸花

皆さんは、「断腸花」ってご存知ですか?

不肖、風船屋GGは浅学、無知蒙昧にして、まったく知らなかったのでごぜえますです。はい。

いえ、といいますのはね、例のとんでも爺さん「永井荷風」の「断腸亭日乗」ってのがありましてね、ま、荷風の日記なんでございますがね。
題名の「断腸亭」というのは、世の中のことが気に食わないので、「断腸の思い」だったのかとかね。あるいは彼は腸の病気で、胃痛・下痢に悩まされていたから、いっそのこと腸を切りたいと思っていたのかと考えていたんですけどね。

昨日のテレビを見ていたら、そうじゃなさそうなんですね。庭に咲いていた、秋海棠(しゅうかいどう)の花が好きだったみたいですね。
こんな花なんですけどね。別名「断腸花」ともいうらしい。へえーーーー
かわいらしい花の割には凶暴な別名がつけられてんのね。
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この爺さんの生き方といいますか、ま、生き方ですね。どんでもない爺さんで、60歳で内務官僚だった親父が亡くなると同時に莫大な財産を長男だったから全部相続するわけですね。それからは、3か月後に奥さんを離縁。のち添えとなった芸者とも6か月で離縁。あとは墨東奇譚にある通り、玉ノ井の娼妓と遊蕩三昧。

その割には、79歳まで長生きするのですね。

その間の日記が「断腸亭日乗」という本になっており、オイラの愛読書のひとつでもあるのですがね。

過敏性腸症候群なんてね、どうもそれだったらしいのです。大正12年7月30日の欄には「腹痛・下痢」としか書いてありません。

当時は過敏性腸症候群なんて病名はなく、胃潰瘍で片づけられておりました。

最近でも過敏性腸症候群は精神的な要素が多く、ストレスを取り除くのが一番でーす。なんてもっともらしいことを医者が言っておったのですがね。最近は、どうも食べ物に原因があるのではないかいなと言われているらしい。
もっとも医者なんてものは、その都度決められたことを言っているだけだからね。どうも、小腸内細菌増殖症なんて名前をつけて、食餌制限などをいたしているようですがね。

腸内細菌なんてのは、最近多ければいいような風潮ですが、大腸はともかく小腸の細菌は正常値が1万個/mlのところが10万個に増殖することがあるらしい。
そうするってえと、その細菌がガスを発生させたり、エンドトキシンなんて物質を発生させて、逆流性食道炎とか、肝硬変を誘発するんですってさ。

小腸内細菌を増殖させる食べ物としては、小麦粉なんてのは小麦粉糖分が米に比べてガスを発生しやすいとか、乳糖、果糖なんかも発生しやすいらしいのですな。

荷風先生は、おフランスから帰国以来、クロワッサンとリンゴのコンフィ、ココアが大好物で、毎朝これを食べていたのですが、この3品がことごとく、小腸内細菌を増殖させるらしいですな。

笑ってしまうのが、戦争末期の昭和18年から21年ころの間、日記に下痢も腹痛も書いてないのですが、どうもクロワッサンもリンゴジャムもココアも入手できなかったのが原因ではないかと言われております。

この爺さんの破天荒なところは、浅草のストリップ劇場に入り浸りで、ストリップ嬢に遊んでもらっていたらしい。ストリップ嬢も「え、文化勲章?あのじいちゃん、そんなに偉いの?」なんてことだったらしいですね。
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浅草の飯屋で倒れて、住まいの市川までタクシーで帰ってきてからも、医者にもいかず、近所を散歩して過ごしていたようですが、
どうも、この倒れたのも、小腸細菌の影響で肝硬変を起こして、肝性脳症を引き起こしていたんではないかと言われております。

昭和34年の4月30日に血を吐いて倒れているところを、賄い婦に発見され、吐しゃ物の中にカツ丼があったらしい。

京成八幡駅前の「大黒屋」のカツ丼が好きで、5日間つづけて「正午、大黒屋」とだけ書いてある日もあります。
(余談ですが、何年か前にオイラも食べにいったことがありますが、それほど取り立ててというほどのカツ丼ではなかったです。今は建物は残っていますが、店はやっておりません)

大黒屋の証言によると、前日29日にもカツ丼を食べたらしい。

当時は気管から血を吐いたら肺結核、胃から血を吐いたら胃潰瘍なんて時代でしたから、ま、適当に胃潰瘍なんて決めたんでしょうけどね。

オイラもサラリーマン時代に、胃潰瘍も、十二指腸潰瘍も経験あるけど、血を吐くほどひどいときは(オイラは血は吐かなかったけどね)、カツ丼なんてのは食べる気にならないと思っていたんだけどね。

最近の解説では、小腸内細菌増殖による肝硬変の合併症のひとつ、「食道静脈瘤」が破裂したのではないかと言われているそうです。
医者に言わせると、肝硬変患者の70%は、食道静脈瘤を発症するそうな。

ま、生き方には、いろいろ問題もあるかもしれませんが、積極的孤独死として、おいらはあこがれるね。

オイラと違うところは、ストリップ嬢が相手してくれないということと、遊蕩三昧してもなおかつ、通いの賄い婦を雇うお金があったということだね。オイラの場合は自ら賄い夫となってしまっているのね。

箕輪の浄閑寺ってのは、吉原の娼妓の投げ込み寺として有名だけれど、永井荷風は「断腸亭日乗」の中で、

  余、死する時
  後人もし余が墓など建てむと思はば、
  この浄閑寺の場所で
  娼妓の墓 乱れ倒れたる間を選びて
  一片の石を建てよ

なんて書いてありますので、関係者が荷風の碑を建てておるのですね。
もっとも、本人は「一片」なんて言っておりますが、残された人はそうもいかなくて、まぁまぁの石ではありますがね。

ま、70を超えて、相方に先立たれたくそ爺いとしては、西行法師と並んで、ちょっと憧れる爺さんではありますね。

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この記事へのコメント

浜えくせる
2020年01月26日 14:53
秋海棠が別名、断腸花とは知りませんでした。
永井荷風の「あめりか物語」や「フランス物語」を昔、読みましたが内容を忘れてしまいました。若いころから向学心があったようですね。

写真仲間と浅草のほうずき市の撮影会後、永井荷風が行きつけだった蕎麦屋へ行ったら、満席で階段の途中で並んで待って、やっと食事にありつけた思い出がありました。
風船屋店主toHAMAsan
2020年01月27日 14:15
断腸花なんて尋常じゃない名前ですよね。実物はそんなに禍々しい感じの花ではないですけどね。なんにしてもあれだけ放蕩の限りをつくして79歳まで生きられるというのは爺い族の励みになりますね。