荷風のかつ丼

永井荷風なんて作家がいましてね、戦後は浅草の踊り子の楽屋に入り浸りになっていた作家で、若い頃はあまり読む気もなかったのですが、歳とともに「お、なかなか大した爺いじゃないか」と思っております。


「あめりか物語」だとか「ふらんす物語」とか、やさしい題名で書いたかと思ったら、「墨東綺譚」とか「断腸亭日乗」とか、難しい題名をつけたり、どういう基準でつけたんだか。
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「墨東綺譚」も、向島の遊郭を舞台にしていておもしろいけど、「断腸亭日乗」もね、おもしろいです。
1917年から、1959年までの42年間の荷風の日記なんですね。

10年日記をずっとつけているGGとしては、一体、毎日毎日なにを書いているのだろうと、興味がありますので、読んでおるのです。

ま、しかし、文豪といってもさすがに毎日はそれほど書くこともないようですね。長く書いている日もありますが、短い時は無茶苦茶短い。
たとえば、昭和28年の
7月27日  晴。夜浅草
7月28日  晴。午後有楽町。夕食飯田屋
7月29日  晴。島中氏来話。夕食浅草ボンソワル
・・・といった具合。
食べることは好きだったようで、亡くなる2,3年前は、毎日浅草のアリゾナで洋食を食べていたようです。
上述の飯田屋というのは、浅草の隣り、合羽橋のドジョウ屋のことでしょうね。

これは毎日アリゾナに行っている日々・・・・そんなことって、無さそでアリゾな話。
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昭和34年の4月30日に自宅で死んでいるところを発見されるのですが、その1か月前の3月は毎日毎日「大黒屋」
3月1日に、浅草で倒れて、車で千葉の市川の自宅まで帰ってきて療養中なんですが、毎日大黒屋でカツ丼なんか喰っていたらしい。

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生涯独身で、あまり人付き合いは好まず、といっても浅草の踊り子たちのところには入り浸って、女の子に「にふうちゃん」と呼ばれて楽しい一時期を送っていたようです。

踊り子の方は、そんな偉い作家だと知らず、座付きのしがない物書きと思っていたようですね。
ストリップに赤い湯文字を着せたのは、荷風のアイデアらしいのです。

昭和28年に文化勲章をもらってしまって、それで、バレてしまって女の子も近寄らなくなってしまったようですね。ざまぁみろってんだ。ウラヤマシかったぞ。

戦争中は配給の石鹸が気に入らず、オペラ座の女の子に分けてやったりしていたようですね。
ちゃんと押さえる所は押さえておるのですな。
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最後に死んで発見されたときは、大黒屋のかつ丼の飯粒を吐いて死んでいたらしい。
3月6日の日記に
「読売新聞女記者あり、新聞小説の執筆を強請す。煩累忍ぶべからず。悄然として燈刻家に帰る」なんて書いております。
仕事をくれる人に、本当に面倒くさそうな言い方をしています。
あちこちにこの”煩累”という言葉を使っていて、煩わしい係累といったものから逃げたかったようですね。

・・・・というわけで、長い間をかけて、最後にひとりで死んでいくという人生設計を完遂したというわけで、彼にとっては食べたいものを食べて、最後は勝手に死んでいくというのは理想の死に方だったのではないでしょうか。
西行法師も最後は五穀断ち、十穀断ちをして、望みの桜の季節に死んでいきましたが、ま、ちょっと似ているかな。

前置きが随分と長くなりましたが、その大黒屋が、千葉県市川市の本八幡にまだあって、営業しております。

そこに荷風のかつ丼を食べに行ってきました。

京成電鉄本八幡駅のホームから見た「大黒屋」
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この周辺は「荷風の散歩道」と称されています。歩いてみましたがとくにこれといったものは・・・
荷風の住んでいた家くらいは残っているのかどうか・・・
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しばらく回りをぶらぶらして、大黒屋にはいります。
店の中はまだ11時過ぎなのでガランとしています。
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レジに座っているおばばがなかなか味のあるおばばでした。

おいしそうな定食がならんでいます。
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しかし、ここはやっぱりかつ丼ですね。
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死ぬ前日までかつ丼を喰ったというのだから大したものです。
小説を書くのはマネできませんが、死ぬ前日までかつ丼を喰うくらいはマネできるかな?
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お銚子とお漬けものセットで1500円ですが、かつ丼だけ注文。850円です。
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味は関東にしては珍しく薄味でした。

ま、普通のかつ丼ですね。

文化勲章の年金50万円(昭和28年当時)と多額の印税を得ていたわりには、最後までかつ丼を喰っていたというのが、ちょいといいですね。

彼の弟子の谷崎潤一郎は京料理が気に行って京に移り住み、最後は伊豆に療養して、京都の「瓢亭」の料理人に鱧料理を持ってこさせていたのと大ちがい。

よし!お次は浅草のアリゾナだね。

この記事へのコメント

sazae3
2015年11月07日 06:27
楽しく読ませて頂きました。本の中からゆかりのお店等をを訪ねて見るのも面白いですね。
2015年11月07日 07:23
作家は、意外と食べものが好きなようですね。夏目漱石も胃潰瘍でありながら、神田の洋食店に通っていたり、森鴎外も、上野のソバ屋「蓮玉庵」を小説に登場させたり、池波正太郎の本に出てくる店を訪ねていたらきりがありません。鬼平犯科帳に出てくる軍鶏鍋「五鉄」を復活(架空の店なので復活というのはおかしいですが)させようという動きもあるようで、実現したら一度は行ってみたいですね。
C爺
2015年11月08日 23:09
う~ん!懐かしい名前が、菅野の友達とカントリーを楽しんでおりました、市川に住んでいたので、国府台、真間、菅野あたりまで足を延ばしましたよ、かつ丼は知りませんが、おいしいラーメンと餃子の店によく行きました、
永井荷風も岡晴夫も話題に出ませんが、元地元悪ガキ4名が今年も市川に集合(喫茶店・タンネ・・ここも古いな~)、
誰も欠けずに30年も続いているのが不思議ですよ、なにしろ私が一番年下なんですから。
2015年11月09日 06:33
本八幡の駅というのは、都営新宿線への乗り換えしか使ったことがありませんが、八幡3丁目から、菅野にかけての一帯がなかなか瀟洒な家もあって、いいところですね。戦災でお金持ちとか、文化人が市川に逃げてきて、千葉には珍しいハイソな町になったとか。もともと国府があったところですから、そういう素地はあったのでしょうけどね。
77歳が年少のグループというのはすごいですね。