願わくば・・・

願わくば 桜の下にて春死なむ その如月の望月の頃
西行法師の歌ですね。
この歌を残して、実際に如月、いまの3月頃でしょうか、望月だから15日?に亡くなったらしいのですね。
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如月、衣更着(きさらぎ)からきているといわれるくらいですから、満月を見ながら死ぬというのは、結構寒いと思いますけどね。寒さで体温下がると、夢うつつになっていくかも。

桜好きのGGとしても理想の死に方ではないかと思っております。
なにしろ小学生のときにも桜が咲いたら、自主休校にして、ひとりお花見していたくらいですからね。自宅に電話もなかった時代で、先生の確認もあまりうるさくなかった古き良き時代でありました。通信簿に欠席日数が書かれていますので、その言い訳に苦労しましたけどね。

さて、この西行さん、お釈迦様入滅の日にあわせて、死んだということのようですが、当然、その日にポックリというわけにはいかないので、半年くらい前から、いつ死んでもおかしくない状態で、桜の頃まで頑張ったということらしいです。 

西行法師というのは、いま、NHKの大河ドラマで「平清盛」をやっておりますが、清盛とほぼ同時代に生きたひとですね。
ドラマは見ていないので、そこに西行が出ているかどうかはわかりませんが、西行も北面の武士でしたから、清盛とは面識があって、それどころか、かなり深い付き合いをしていたらしいです。
歌のヘタな清盛の代作をしてやってかなり喜ばれていたという話があります。

4歳の娘もいたのですが、それらをなげうって出家・隠遁生活にはいったといわれておりますが、実際にはその後も俗世間との付き合いはかなり濃厚にあったようですね。

白河天皇というのは、非常な好色で(当時の公家の多くがそうだったらしいですが)、いろいろな女性と係わり合いを持っていたようですが、待賢門院(たいけんもんいん)を幼女の頃から可愛いがり、性技を含めありとあらゆることを教え込んで、最高の女性として仕立て上げたということらしいです。

それを孫の鳥羽天皇に下賜したのが、白河上皇61歳の時、待賢門院17歳のときというのが驚きですね。
しかも、下賜したあとも、白河上皇は待賢門院と関係を続け、生まれた崇徳天皇は表向きは鳥羽天皇の子となっていますが、白河上皇の子であるということが言われております。
当然、鳥羽天皇は生まれた崇徳天皇を嫌いぬき、これが相続争いを招き、そこに、藤原摂関家の相続争い、源氏の相続争いが複雑にからまりあい、保元の乱の原因となるのであります。
崇徳天皇は若くして引退を余儀なくされて、名前のみの上皇となり、崇徳院となっていましたが、保元の乱に続く、平治の乱で敗走し、讃岐の国に島流しとなるのであります。この崇徳院の怨霊が、のちのち天皇家、平家一門に祟るのでありますが、それはまた別の話として・・・・

この崇徳院と、西行は歌を通じて深い交友を続けていたとのお話であります。
「崇徳院」というお題の落語がありましたね。百人一首にはいっている崇徳院の歌、「瀬をはやみ岩にせかるるナントカ カントカ・・・」にちなんだ落語でしたかね。
ま、それくらいお互いの歌を評価していたということですね。

この崇徳院の母である待賢門院に西行が惚れてしまい、道ならぬ道に踏み込んでいき、結局あきらめ(当然ですね、天皇の后ですからね)て、隠遁生活にはいったらしいのですね。
この待賢門院のお局をしていた堀川局とも西行は濃厚な関係を続けていたというのでありますから、なんともはや、あの時代というのは・・・・
源氏物語の世界というのは、満更絵空事というわけでもなさそうですね。(うらやましいネ)

待賢門院への思い絶ちがたく、ある夜、庭に忍びこみ、歌をささげるわけです。
現代なら、いきなり「抱かせてください」ということになるのかも知れませんが、この時代は歌で思いを伝えるということで、相互にかなりの知識がないと難しいのですね。

縁側に佇み月を愛でる待賢門院・・・庭の植え込みに身を潜める西行・・・
「これ、そこに誰かおるのか」
「は、義清でございます。」  武士の時の名前が佐藤義清というのですね。
あまりの月の美しさに見とれて・・・などと見え透いたウソを言いながら、そこは待賢門院もうるさいことはいいません。
  「弓張の月に外れて見し影の
    やさしかりしはいつか忘れん」
  (三日月の光の陰の暗がりで見た恋しいひとの姿を一生忘れません)

西行の差し出した歌を受け取って部屋に退き、しばらくして「これ、こちらに来やれ」ということになるのであります。
待賢門院も返し歌
   「雲の上ありし昔に変わらねば
     見し玉垂のうちぞかなしき」
   (私は雲の上の身ですが、御簾の中からもあなたのことを恋しく思っています)

というようなやりとりがあって、ま、後はそれなりの男女のことに及ぶのでありますけどね。いきなり飛びつかないところが、奥ゆかしいじゃありませんか。

この後で、西行の母が死んだときに、待賢門院から花が届けられるのですが、そこに「あこぎがうら」と一言ついておりまして、「してはいけない恋」という暗喩であります。
  この阿漕が浦というのは、伊勢神宮にお供えする海産物を採集するところで、禁漁区なのでありますね。
  禁漁区での密猟も一度くらいならいいが、何度も密漁すると必ず発覚しますよという歌に基づいているのであります。
   「いせの海 あこぎが浦に引く網も
         たび重なれば人もこそ知れ」

お互いに教養が同程度でないと通じないお話ですね。

西行は、その後、すぐに、
   「思いきや 富士の高嶺に一夜寝て
      雲の上なる月を見んとは」
   (身分の高い方と一夜をともにして、尊い月を見ようとは、思ってもみないことでした)という歌を送って身を引くのであります。

そんなこんなで、隠遁生活にはいった西行でありますが、やはり忘れきれない切ない日々が続くのであります。
わび住まいをしながらも、
  「待ちわびる かしこまりたるあはれをも
     門なき院へ誰か訪ふべき」
  (おそれおおい高貴な人を待ちわびているものの こんな門もないような院に来るはずもない)
とまだ未練をもっているのでありますね。

待ち、賢い(畏い)、門、院の言葉がいれこまれていて、つなげると待賢門院となるという相当危ない歌なのでありますね。バレたら当然打ち首ですね。

成らぬ恋をあきらめ、隠遁し、旅に出るというのは、日本人好みといいますか、西行というのはなぜか人気が有るのですね。

GGは子供の頃、百人一首を使った「坊主めくり」で遊んでいるとき、西行法師に限りませんが23枚だかの坊主が出ると手札を全部取られてしまうので、西行法師の札は嫌いでしたけどね。
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  「なげけとて 月やはものを思はする
     かこちがほなる わが涙かな」
という歌でしたかね。
GGにはあまりよくわからない歌で、生意気にも大した歌でないと思っておりますが、なぜか、百人一首にえらばれています。
彼にはもっと他にいい歌もあるのですがね・・・・。

・・・で、やっぱりGGが好きなのは
   「願わくば 花の下にて春死なむ
      その如月の望月のころ」
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だらだらと長く書いてしまいましたね。
うっかり、最後まで読んでしまったアナタ、お疲れ様でした。
お付き合いいただいて有難うございます。

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