「赤い人」

赤い人なんてみて、山部赤人?なんて思ったひと、あんたは偉い!マンタはエイ!
田子の浦から富士山みたら、雪が積もってたのよねーなんて読んだ奈良時代のひとですね。エライけど違う。外れ。残念!ハワイに行けません。

吉村 昭の本の題名なのですよ。いままでこんな本あるのを知りませんでした。
「漂流」、「北天の星」「光る壁」、「羆嵐」などは読んだ記憶があるけど・・・そうそう「白い航跡」なんてのもありましたね。脚気の治療の話だったかな。
9月にオホーツクセンチュリーに行ったときに、時間が空いて、網走監獄博物館へ連れていってもらったのですね。

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そこにおいてあったのですよ。東京の本屋であまりみかけないので、活字中毒患者としてはすぐに買ってしまいました。
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1977年の作で、明治時代の北海道開拓とその要員としての囚人の確保と監獄の建設のお話なのですね。
明治の初期の頃は、萩の乱、佐賀の乱、西南の役、神風連の乱とか、政情不安定で、政治犯とか、国事犯が大量発生したのですね。監獄が足りない。それなら、北海道に監獄を一杯作ってそこへ押し込もうぜということになりました。
これは監獄博物館にも展示してありましたが、ハーバード帰りの金子堅太郎なんて官吏が、北海道に監獄作ってそこの囚人に道路建設とか、農地開墾とかやらせれば。日当払わなくていいし、開拓は捗るし、万が一死んでも食費などの維持費が安くなるではないかい?という提案するのですね。
ところが実際話が進むと、厳寒でも足袋の支給さえ認められない、という環境で、万が一どころか、1割2割レベルの囚人が死んでゆくのですね。初代の典獄(今の所長さんでしょうか)があまりの悲惨さに途中で辞職願をだすほど。
その後、炭鉱が発見されたら、炭鉱へ、硫黄が発見されたら硫黄山へとあちこちに派遣されるのですが。炭鉱の坑道にガスが発生しているかどうかなどは、囚人をひとりロープでぶら下げて坑内に下ろすのですね。上から見ていて、首ががくっと落ちたら、危ない、なんて無茶苦茶なことをやってたらしいですよ。硫黄山でもどんどん体が蝕まれていき、失明者続出。
鉄の玉を足にぶら下げてモッコを担ぐとどれだけ大変かということは、監獄博物館に行けば体験できます (-_-;)
道路には死屍累々でそのまま道端に埋められたか、放置されたらしいです。最近になって網走市民がボランティアで遺骨を発掘して、別のところに供養塔を作ったらしいです。エライです。こういう人たちもおられるのですね。GGは気が弱いのでちょっと無理かも。

・・・というわけで、当時の囚人服が朱色だったのですね。これが「赤い人」の意味です。

極悪非道の殺人者だけでなく、国事犯などもいて、死刑にはできないが、死んでもやむなしと、いわば緩慢な死刑を行っていたのですね。
こういう人たちの犠牲の上に今の北海道の発展、日本の基盤が成り立っているということを考えないといけませんね。北海道の初期の幹線道路はこうやってできたらしいですよ。
生キャラメルだとか、北の恋人だとか、食べて喜んでいる場合ではありませんぜ。
わかっているのか!?そこの自転車乗っているおっさん!(すみません)

高倉健さんの「網走番外地」なんて映画を昔は見ましたよ。どうしても、主人公に気持ちが行って、看守が悪者みたいに見えるのですけどね。看守もかわいそうだったみたいですよ。脱獄されたら給料が半分カットとかね。冬になっても食料が届かないとかね。脱走されて連れ戻せなかったら、投獄とか。

その中でちょっと面白いのが、日本の脱獄王。通称「5寸釘寅吉」本名:西川寅吉。脱走するときに、5寸釘を踏み抜いてしまって、刺さったまま、3里以上走ったらしいですよ。また囚人服をぬらして壁にベタッと叩き付けて、その瞬間的な吸着力で塀の上に飛び上がったとの話もあります。合計7回脱獄して、最後は70歳を越えたときに、赦免されて長生きしたそうです。粗食と運動(脱走の)がよかったのですかね。

凶悪犯がはいっているというイメージの網走刑務所ですが、今は刑期8年以下の人たちばかりらしいですよ。
ダイエットしたいひとは一度はいってみてはどうですか。手に職もつきますよ。
ではまた。

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